chinda_fall_desu’s diary

竹内豊の日記

ヒューマンコンピューターインターフェースをもっと知りたいなー

『ハーバード白熱教室』を見て、共同体について考える⑪(第十一回 愛国心と正義どちらが大切?)

「共同体」を考え方の軸にして自分の考えを文章にしてみる。
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以下を原理として論を展開する。
原理:【共同体は自らの持続、発展を望む。「正しさ」は共同体が構成員を裁くためのものであり、構成員は共同体の持続、発展のために行動する。】


「人間は本質的に物語を紡ぐ」という物語的観念というマッキンタイアの考え方は、共同体で考えれば「人間は共同体の文脈に沿って働く」という意味といえる。また、「個人として善を求め、美徳を実践できない」は「共同体によって「正しさ」がつくられる」を意味するといえる。そしてこれら共同体のつながりから彼は先祖の罪を償うことは当然であると主張した。先祖の罪についてどのような立場があるだろうか。


X共同体に対するY共同体の行いがZ共同体によって罰せられる状況を考える。Aが先祖Bに対する罪を認めない立場は以下の三通りある。
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1.先祖Bの行いが悪いとは思っていない。
2.先祖Bが同じ共同体にいるとは思っていない。(時間による分離、価値観の変化による分離)
3.Y共同体は存在しない。→道徳的個人主義者の考え方(自分が選択した義務のみを引き受ける)


このうちマッキンタイアが反対している主張は3である。彼は3の考え方はリベラリズムの自由と義務の考え方の誤っている点であると主張した。具体的に言えば、リベラリズムの考え方では(1)人間に対して負う義務と(2)個人的な義務の二つしかないと考えるが、コミュニタリアンは(3)集団としての構成員としての義務があると主張する。(これを共同体で考えると、(1)は人類という共同体への貢献の義務を意味し、(2)は人類共同体より小さな共同体への貢献の義務を意味する。そして(3)は(2)を具体的に述べたもので、自分の属する共同体への貢献の義務を意味する。)


共同体で考えれば、リベラリズムとコミュニタリアリズムの違いは、リベラリズムが人類共同体への貢献を重視し、その他の共同体が不要と考えるのに対し、コミュニタリアリズムはその他の共同体の現在の影響力の大きさからそれらは重要なのではないかと考える点である。