chinda_fall_desu’s diary

竹内豊の日記

ヒューマンコンピューターインターフェースをもっと知りたいなー

『ハーバード白熱教室』を見て、共同体について考える⑩(第十回 アリストテレスは死んでいない)

「共同体」を考え方の軸にして自分の考えを文章にしてみる。

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(前半)
アリストテレスの政治に対する考え)
論理的に展開するためにはまず原理、公理が必要。そこでアリストテレスは政治共同体の目的を次のように定めた。「政治とは善い人格を形成すること。市民たちの美徳を高めること。つまり善き生をもたらすもの。」
だが、善いかどうか、美しいかどうかは共同体が決めることであるので、より具体化すれば、「政治共同体の目的は共同体の持続発展のために、市民が正義、徳を考え、それを目指すようにすること。」といえるのではないか。


次にアリストテレスは「孤立しているものは獣か神に違いない。」と考えていたことから、彼は人間は何かしらの共同体に属するものであると考えていたとわかる。また、「言語能力の発揮が人間を人間足らしめる」という考えから彼は言語能力の有無を人類共同体の境界として考えていたことがわかる。
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次に美徳と名誉について。アリストテレスが「美徳は実践によってのみ得られる」と考えるのは、美徳がそれぞれの政治共同体によって異なることを意味する。本で得られる美徳はその著者の共同体の美徳であり、自分の共同体の美徳とは異なる。
「美徳を持つものを選び、名誉を与えることも、政治の重要な点の一つ」ということから、「名誉」は共同体の構成員が共同体の「徳」に沿った行動をしたときに共同体によって与えられる報酬であるといえる。



(ケイシー・マーティンのゴルフカートについての話)
ゴルフの例について共同体を軸に考える。ゴルフカートを使わせないことは差別なのだろうか。下記の記事の考えを踏まえつつ考える。
chindafalldesu.hatenablog.com
アメリカ合衆国という政治共同体において、身体の違いは無視されるべきと考えられる。なのでこの共同体ではこの例は身体障害に対する差別であるとされる。対して、プロゴルファー共同体は身体能力、身体的特徴が近い者の集まりである。なのでこの共同体では差別とはされない。
解決法は下記の二つしかないと思う。
①プロゴルファー共同体を拡張する
→ゴルフカートの使用を認め、身体能力の多様性を増加させる
②別の共同体をつくる
→身体障碍者ゴルファー共同体をつくる
アメリカ合衆国政治共同体の「正しさ」によってこれが裁かれる。小さな共同体をどれほど尊重するかで決まるだろう。
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目的論への反論を考える。アリストテレスは笛は吹かれることが目的なので「最もよい笛は笛を最もうまく吹ける人に渡るべき」と考える。しかし、目的は共同体によって決まるはずである。共同体が設けた目的なら笛を打楽器として扱うことはその共同体にとっては「正しい」。
ゴルフの例においても同様に反論できる。スカリア判事は政府共同体が考える目的とプロゴルファー共同体が考える目的には差があるので、プロゴルファーの目的を持ち出して裁こうとするのは間違いであると述べた。
(前半終わり)


(後半)
ゴルフの例で名誉について考える。名誉とは共同体によって与えられるもの、共同体からの報酬である。アメリカ合衆国という共同体ではスポーツを行うことが名誉である。なのでプロゴルファー共同体はアメリカ合衆国共同体にとって名誉ある共同体であるといえる。例に戻る。もし②を選択した場合、プロゴルファー共同体の名誉は損なわれないが、①を選択した場合、その共同体が名誉ある共同体ではなくなる可能性が生じる。
(後半終わり)