chinda_fall_desu’s diary

竹内豊の日記

ヒューマンコンピューターインターフェースをもっと知りたいなー

『ハーバード白熱教室』を見て、共同体について考える④(第四回 この土地は誰のもの?)

「共同体」を考え方の軸にして自分の考えを文章にしてみる。

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これまでと同様に以下の共同体の原理を踏まえて論を展開する。
原理:【共同体は自らの持続、発展を望む。「正しさ」は共同体が構成員を裁くためのものであり、構成員は共同体の持続、発展のために行動する。】


ジョン・ロックの自然状態、自然法という考え方に関する自分の意見を述べたい。ここではより良い政府を作るためにはどうすべきか、といった立場ではなく、「正義」とは何かを知りたいという立場で考える。なので題材は同じでもそれを用いる目的はジョン・ロックとは異なる。


自然状態とは政府などの共同体が生まれる以前の人々が独立した存在だった状態のことである。まずこの時点で共同体を前提と考えるとき、これは人類という共同体について述べていることだと分かる。そして、その共同体は人類の持続、発展のために他の種という共同体と対立、もしくは協力する。もちろん共同体であるために、そこには「正しさ」が存在し、共同体の目的に反する者は罰せられる。この「正しさ」をジョン・ロック自然法と呼んだ。「人は戦いを仕掛けてくる人を破壊することができる」(ジョン・ロック)。


ヒトはより小さな共同体に「同意」して属すようになる、とジョン・ロックは言う。


これを共同体を軸に考える。生物はこのような大きな共同体のなかでより小さな共同体(群れ)を作る。それは「正しさ」のためである。そして新たな共同体ができたとき、そこには「正しさ」が生まれる。もちろんその共同体に入るとその「正しさ」によって罰せられることになる。これが上記の、共同体に属すことへの「同意」であると考えられる。そしてジョン・ロックは多数派の支配に同意しても、我々は自然法も持っている、という。これは上記の共同体における解釈では当然といえる。なぜなら小さな共同体の「正しさ」以前に人類という共同体の「正しさ」も存在しているからである。つまり、ある行為が小さな共同体で「正しい」とされても、より大きな共同体では「正しくない」とされることがあるということである。ジョン・ロックは政府の在り方に対して、人類共同体による裁きを求めていたといえる。f:id:chinda_fall_desu:20200331020412p:plain


ジョン・ロックは国王の絶対的な力を懸念していただけでなく、アメリカという植民地の支配に携わっていた。そこでジョン・ロックの立場を共同体によって考える。自然権と政府が取り上げうる権利を対比するジョン・ロックの考え方を、人類共同体と国共同体で考えると、ジョン・ロックは国共同体の「正しさ」をいかに定めれば、人類共同体にとって「正しい」かを考えていたといえる。


(第四回終わり)

(間違い等あればコメントよろしくお願いいたします。)